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朝鮮戦争の激戦地「鉄原(チョロン)平和展望台」

鉄原(チョロン)は朝鮮半島の中心に位置し、朝鮮半島を横断する軍事境界線の中央部にあたる。江原道では少ない平地である鉄原平野に位置する。周囲を高い山脈に囲まれた溶岩台地であり、平坦で水も豊富な穀倉地帯です。

韓国と北朝鮮との間には、実は国境はありません。そこにあるのは軍事境界線(休戦ライン)。南北は軍事境界線を基準に南北に2㎞ずつ後退した地点に沿って鉄柵線を張って、その中をDMZ(非武装地帯)と設定。南側ではさらに南方限界線の南側に10㎞範囲で民間人の立ち入りを統制する民間人統制線(民統ライン)という境界を設定しています。

平和展望台に向かう途中、検問所を通ります。民間人は自由に立ち入りができないため、バスも検問を受けます。銃を下げた軍人さんがバスの中に入って来て、人数チェック。帰りにも同じ人数が揃っているかチェックします。スマホで軍人さんの後ろ姿を撮影しましたが、撮影した写真はその場で消すようにとのことで、消去しました。周辺には軍事施設もたくさん見ましたが、軍事施設も撮影は禁止です。

穀倉地帯を走るバスの窓の先に見える山並みは北朝鮮とのこと。



鉄原(チョロン)平和展望台に到着。展望台へは50人乗りのモノレールで移動します。



モノレールから下を眺める。左手には巨大な貯水池が見えます。



鉄原は、米と鶴が有名なので、ここにも米と鶴がデザインされています。



この貯水池にも、渡り鳥の群れが集まっているのが見えました。



展望台の入口です。



建物の2階では、スクリーンで日本語解説付きの映像を見ます。



スクリーンの向こう側は、DMZと北朝鮮です。この一帯もすべて朝鮮戦争の際、激戦地となった場所。



500ウォン硬貨を入れて双眼鏡が使用できます。



鉄原平野やDMZ周辺、北朝鮮を見渡すことができますが、軍事施設は撮影禁止です。



展望台の1階には、第2トンネルと軍の兵舎、検問所を再現した展示物や非武装地帯の写真などを展示しています。

北朝鮮が韓国を奇襲するために掘ったとされる「南侵トンネル」が韓国側で4本確認されています。そのうち1975年に鉄原郡で発見されたのが「第2トンネル」。全長約3.5km、地下50~160m、軍事境界線から南に約1.1kmまで到達しており4本中最大規模で、1時間あたり約3万人の武装兵力を移動可能、四輪駆動型の小型戦車も通過できるとされます。

発見された順に番号がつけられていて、右から2番目が「第2トンネル」。



他のDMZツアーに、実物の「第2トンネル」や「第3トンネル」を訪れるツアーもあります。昔は「第1トンネル」「第4トンネル」にも行くことができたみたいです。記憶が間違っていなければ、ゴンさんは子供の頃にツアーで4箇所すべてのトンネルを見たそうです。トンネルの反対側には北朝鮮の軍人さんがこちらを見張っていて、怖かったとか。



展望台からモノレールで下に戻ったところにある売店へ。売店では、DMZ産のお米など特産物や北朝鮮のお酒を販売しています。緑色の瓶の焼酎は4,000ウォンです。



最後は、バスの窓から北朝鮮の労働党舎の建物を見学。1945年、日本からの独立と同時に北緯38度線を境に南北に分断され、当時ここは北朝鮮支配下だったため、周辺には北朝鮮の当時の遺産が多数残ってます。北朝鮮の労働党舎は、共産独裁政権の強化と住民の統制を目的に建設され、朝鮮戦争が起きるまで使われたものだそうです。



かつては栄えていた鉄原は、朝鮮戦争の際「鉄の三角地帯」と呼ばれ、激しい激戦区となり、一帯は廃墟と化しました。労働党舎の屋根は抜け落ち、壁には当時の弾丸の後が残っています。



バスで白馬高地駅まで戻り、16:06発のDMZトレインでソウルへ戻ります。途中、漣川(ヨンチョン)駅で一時停車。駅前の公園では、地元の方が農産物やお餅などを販売しています。



また、過去に蒸気機関車が水を補給する時に使われていたという給水塔があります。





韓国に住んで、平和な日常を送っていますが、この平和な日常は当たり前のことではないのだと実感しました。韓国と北朝鮮は、今も休戦状態なんですよね。この記事を書くにあたって、たくさん調べ、知ったこともあり、勉強になりました。

【朝鮮戦争】
1945年の日本の敗戦後、米軍とソ連軍が北緯38度線(現在の軍事境界線とは異なる)を境に朝鮮半島を分割占領し、北に朝鮮民主主義人民共和国、南に大韓民国が建国された。
朝鮮戦争は、韓国では「625戦争」や「韓国戦争」と呼ばれている。1950年6月25日に北朝鮮軍が38度線を越えて南へ侵攻したことにより朝鮮戦争が始まり、戦線は38度線付近で一進一退を繰り返した。 53年7月27日に休戦協定が成立。その結果設定された韓国と北朝鮮の新たな境界線が、軍事境界線(休戦ライン)。軍事境界線から南北に各2kmがDMZ(非武装地帯)とされた。現在も休戦状態にある。 軍事境界線を38度線と呼ぶ場合もある。軍事境界線上にある板門店(北緯37度57分)は休戦協定を行った場所である。

私が参加したツアーは、「Koreaご当地シャトル旅(日帰り)」の冬限定観光ツアーとして、商品化されています。詳細はこちら。→Koreaご当地シャトル旅冬季限定特別企画「DMZ鶴ウォッチングツアー」

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プロフィール

miki

名前 : miki

好きなもの:旅行、古いもの、ハンドメイド、節約、変なもの、おいしいもの、市場

タイ・バンコクの安宿で出会った9歳年下貧乏韓国人ゴンさん(Park Kunwoo)とスピード結婚。結婚当時は夫婦共に無職、夫の全財産は約2万円でした。

2004年〜初めてのタイバックパック旅行でタイにはまり、東南アジアを中心に一人旅をするように。

2009年12月〜バンコクの安宿で、日本語ペラペラ9才年下の韓国人ゴンさんに出会い一目惚れ。プロポーズされ、約2週間交際。

2010年3月〜3ヶ月ぶりにゴンさんに会うため韓国へ。韓国で約3週間交際。35歳の誕生日に籍を入れることを目標に、2人で日本へ。

2010年4月〜日本に帰国した翌日、家族全員に紹介しないまま入籍。愛知県一宮で新婚生活がスタート。

2010年9月〜台湾、スリランカ、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、タイ、ラオス、中国などの国々を夫婦で放浪。その後しばらく別居。

2011年12月〜ゴンさんはインドでガイドとして働くことになりインドへ。私も後からインドへ。

2012年3月〜ゴンさんが痔になり、急遽タイの病院へ。しばらくタイで静養生活。

2012年4月〜ゴンさんは韓国、私は日本へそれぞれ帰国し、しばらく別居生活。

2012年6月〜ゴンさんがソウルで勝手に物件契約。仕方なくアジアン雑貨店「南山アソーク」をオープン。

2012年12月〜南山アソーク閉店。夫婦でインド旅行。

2013年3月〜ゴンさんはニュージーランドへ。約半年間の別居生活。

2013年9月〜ついに韓国で部屋を借り定住。家賃は月23万ウォン。

2014年3月〜私達夫婦の出会いから結婚、放浪、貧乏生活などのエピソードが書籍に。韓国ソダム出版よりPark Kunwoo著「글로벌거지부부(グローバル乞食夫婦)」出版。

2014年6月〜ソウルに残るタルトンネ(貧民街)に引っ越し。家賃不要のチョンセ物件でのんびりとした生活が始まる。

2014年12月〜ソウルの寒さから逃れるため、約3ヶ月間、夫婦で台湾徒歩一周。

2015年3月〜Park Kunwoo著「글로벌거지부부」翻訳版が台湾で出版される。

2015年5月〜ゴンさんが韓国の大手旅行会社で添乗員として働きはじめ、貧乏脱出。

2016年5月〜ゴンさんは自由に生きることを選択、大手旅行会社を辞める。

2016年9月〜ゴンさんは添乗員、私はツアー客としてスペインサンティアゴ巡礼ツアーに参加。フランスのサン・ジャン・ピエド・ポーからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの約800kmの巡礼路を踏破。

2019年4月〜韓国ソダム出版からゴンさん(박건우)の新刊「느리게 천천히 가도 괜찮아」出版。タイトルの日本語訳は「のんびりゆっくり行っても大丈夫」です。私たち日韓貧乏夫婦の台湾一周徒歩旅行記(韓国語版)です。

2019年11月〜YouTube配信中!




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